東急池上線洗足池駅から、都営地下鉄西馬込駅まで、約4キロの道を歩きました。石川台駅に向かって中原街道を行くと道路沿いに庚申供養塔が有りました。中原街道から九品仏(浄真寺)に行く旧道への分岐点でした。背面の銘によれば延宝六年(1678)に建てた旧碑が何かの事情で失なわれ、文化十一年(1814)品川の御忌講と言う浄土宗の信者たちが再建したのこと。角柱の庚申塔は江戸後期によくみられます。 |
庚申塔 |
雪ケ谷八幡神社 |
石川台駅までくると、雪ケ谷八幡神社があります。高い石段をのぼると鳥居がありその奥に本殿があります。 |
社 誌 祭神 誉田別命(応神天皇) |
創建 永禄年間、北条氏康の臣、太田真六郎が管内巡視の際 当所にて法華曼陀羅を発掘、その奇瑞により八幡大菩薩を創祠と伝えられる。維新後、神仏分離により村社となる。 |
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境内にある稲荷神社 |
太田区文化財庚申供養塔群 |
もともと村内各所に建てられていたのを、後になってこの八幡神社に移されました。 天和元年(1681)元禄4年(1691)元禄10年(1697)11年(1698)享保4年(1719)明和7年(1770)安政4年(1857)までのもの。7体とも三匹の申の上に仏像が彫られています。 |
庚申塔 | 庚申塔 | 庚申塔 |
石川台希望ケ丘商店街 |
石川台駅前の商店街は色々な店が有りましたが、左右の道は坂ばかりで殆ど商店は見当たりませんでした。 |
雪見坂 |
商店街を左折すると雪見坂がありました。昔ここから富士山の頂きの雪がよく見えたそうです。昭和6年から9年にかけて行われた耕地整理によって道が整備されてから名付けられた坂名です。このあたりは坂が多くそれぞれ名前がついています。 |
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水路 |
雪見坂を上って下ると水路に突き当たります。 |
ここは水路の始まりで、洗足池から水を引いてました。 | 水路に沿って家が建ち並び自宅のまえは、それぞれが管理しているのか、きれいな水が流れていました。 | 歩道も広く桜並木や灌木の植え込みなど、変化に富んだ遊歩道です。 |
海苔 |
水路に別れて上池台商店街に出ました。海苔問屋がありました。 |
昔この辺は、大森海岸が近く海苔の養殖が盛んでした。海がなくなった今は九州から仕入れた材料で加工するだけになり、問屋も他は見当たりません。でも海苔の種類は沢山ありました。 | 海苔の養殖に使用していた船や道具などは西馬込の郷土博物館に実物が展示されています。 | ”新編武蔵風土記”林昌寺の項に「境内墓所の側に坂あり猿坂と呼ぶ。昔、山林茂りて猿多く住せし故にこの名あり。」と記されているそうです。 |
綱島園内遺跡 |
猿坂を南下して東海道新幹線を渡ると綱島園内遺跡があります。綱島園とは ここの植木屋の名前で今も営業しています。この近くの現在テニスコートになっている場所の周辺がこの遺跡でした。 |
昭和53年(1978)大田区教育委員会により発掘調査されました。先土器時代(約15,000年前)の焼礫群(調理用施設)が発見された他、縄文時代(約5.000年から4.000前)の竪穴住居跡が確認されました。出土遺物は、西馬込の郷土博物館にあります。 |
大田区立馬込西公園 |
ここまで来ると漸く現代に戻った感じです。この公園はとても広く、設備も整っていて子供も老人もそれぞれにサッカー、野球、ゲートボールなどを楽しみ、又休息も出来る所でした。今までは人通りも車も少ない道でした。商店が少ないためかゴミがなく清潔な感じでした。 | ||
西馬込駅前通り (第二京浜) |
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