東京急行


池上線は、東京急行電鉄株式会社(以下、東京急行電鉄)が経営している鉄道の一路線なので、先ず、東京急行電鉄について・・・

東京急行
電鉄
は、現在、池上線・東横線・目蒲線・大井町線・田園都市線・新玉川線・こどもの国線(以上・鉄道線)・世田谷線(軌道線)の8路線で営業している。
平成10年度の輸送人員は、9億3500万人である。(1日平均 256万人)

東京急行電鉄
の沿革

東京急行電鉄の歴史は、大正11年(1922)9月に設立された目黒蒲田電鉄に始まる。 (この会社は、大正7年設立の田園都市株式会社の鉄道部門を分離独立させたものである)
その後、田園都市株式会社、池上電気鉄道等の合併や沿線開発などを行って事業を拡大し、昭和17年には京浜電気鉄道(現・京浜急行)、小田急電鉄をも合併、商号を「東京急行電鉄」にした。 更に昭和19年には京王電気軌道(現・京王電鉄)を合併、大東急といわれた。
しかし、戦後の昭和23年にはその3大電鉄や百貨店を分離し、現在にいたっている。




池上線



池上線の沿革
○池上電気鉄道が建設した路線で、池上本門寺や洗足池などへの足としても利用されている。沿革はつぎのとおりである。
  大正11年10月  蒲田〜池上
  大正12年 5月  池上〜(雪ヶ谷)     *雪ヶ谷は、現・雪が谷大塚
  昭和 2年 8月  (雪ヶ谷)〜(桐ヶ谷)   *桐ヶ谷は昭和28年8月に廃止
  昭和 2年10月  (桐ヶ谷)〜大崎広小路
  昭和 3年 6月  大崎広小路〜五反田


○池上電気鉄道は、目黒や国分寺方面への計画も持っていたが、目黒蒲田電鉄との関係や用地買収難で断念。昭和9年、目黒蒲田電鉄に合併された。


池上線の概要
五反田蒲田 間10,9kmの路線で、15駅ある。 

○一日の平均乗降人員
 
 平成10年度の一日平均乗降人員は、380002人(9年度は389301人)である。
 一般的な傾向だが、池上線も乗降人員は伸び悩んでいる。

 各駅毎の一日の平均乗降人員は、次の各駅案内に掲げたが、あわせ順位もしるした。 
 A/15 ・・・Aが、池上線15駅中の順位である。 




池上線各駅案内


五反田
一日の乗降人員・・103402人・・1/15 
JR山手線に接続、また都営浅草線に連絡している。
高架・島式ホーム
駅周辺には近代的ビルが林立しているが、明治末期まで農村地帯で、明治44年に山手線・五反田駅が出来て工場が進出し発展するようになった。
駅の東北、桜田通りを数分歩いた右側に、雉子宮(祭神は、日本武尊、天手力雄命など)がある。
3代将軍家光が当地に鷹狩りに来た時、1羽の白雉が飛びこんできたので「雉子宮」と命名したという。
駅の北、徒歩10分のところの池田山公園は、池、滝などを配置した回遊式庭園。ここは備前岡山藩主・池田氏の下屋敷跡だった。
●地名は、中世に在地の人に五反の土地を配分したことによる、という説もあるがはっきりしない。
大崎広小路
一日の乗降人員・・7846人・・15/15
五反田駅から南へ約300m、山手通りを渡った
ところにある。

高架・島式ホーム
駅から東南数分のところに、立正大学が、大学から東方数分のところに居木神社がある。 
戸越銀座
一日の乗降人員・・19334人・・5/15
相対式ホーム
この名前は、関東大震災直後か昭和のはじめに名乗っていたようで、全国にある○○銀座の最初だという。
 「庶民の商店街」をモットーにしている。
駅から徒歩20分、中原街道を渡ったところに星薬科大学の薬用植物園がある。
●駅から徒歩10分の戸越八幡神社に、「戸越の地名の起り」という碑がある。それによれば、「江戸を越える村」ということで戸越になったそうだ。
ほかに、地形の「谷戸越」からとの説もある。
荏原中延
一日の乗降人員・・14037人・・12/15
地下駅(堀割方式)・相対式ホーム
●荏原の名は古く、「続日本紀」にも武蔵国荏原郡の名がある。 江戸時代は武蔵国22郡の一つ。昭和7年、東京市編入で荏原区ができたが、昭和22年に、荏原・品川両区が合併し品川区となった。
 このように荏原の名称は地味になったが、地質学では、「荏原台」として「山の手台地」の一つである。
●荏原郡の中部を中之部といっていたが、これがいつの間にか中延となったそうだ。
旗の台
一日の乗降人員・・15783人・・9/15
大井町線と接続している。ただ連絡がやや不便だが、もともと池上線と大井町線は 別会社だったからである。
相対式ホーム
●地名は、11世紀、出陣の源頼信が八幡神社(現・旗ケ岡八幡神社)を創建、近くの台地に源氏の白旗立てたことに由来する。
 


池上線の車両 
1000系が主力で、ほかに7600系、7700系がある。
(写真は、1000系)

すべて3両編成で、車両は18mである


長原
一日の乗降人員・・15567人・・11/15
地下駅<堀割式>・相対式ホーム
●長原は、旧馬込村の字名。武蔵野の原の一つだったと思われる。
洗足池
一日の乗降人員・・16354人・・8/15
相対式ホーム
北側、中原街道を渡れば、洗足池がある。
池のほとりに、千束八幡神社、勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛の留魂碑、などがある。、
●古くから千束の大池といわれていたが、日蓮が、弘安5年(1282)9月、身延から池上にむかう途中、この池で手足を洗ったので「洗足池」となったという。その際、袈裟をかけたという「袈裟懸けの松」もある 。
石川台
一日の乗降人員・・17542人・・6/15
相対式ホーム
駅の東にある雪谷八幡神社には、4基の鳥居や、天和元年(1681)から安政4年(1857)の間に建てられた7基の庚申塔などがある。
駅の西にある石川橋のそばに、石橋の安泰と通行人
の安全を祈って、安永3年(1774)に建てられた石橋供養塔がある。
●石川という地名は、石川という川からついたそうだ。
雪が谷大塚
一日の乗降人員・・20465人・・4/15
ホームの上が駅ビル・島式ホーム
南雪谷に円長寺がある。法華宗、身延久遠寺の末寺。
●地名の由来は不明だが、小田原北条氏の家臣である太田氏の所領だった。
 
御嶽山 おんたけさん
一日の乗降人員・・16573人・・7/15
相対式ホーム
駅名になった御嶽神社は天保2年(1831)修験者の一山が建立した。本殿の彫刻はすぐれている。
平成11年、屋根修理が完成した。
かっては、この御嶽に年3回お参りすれば木曽の御嶽山に詣でた御利益があるといわれていた。
この駅の近くを、新幹線と横須賀線が平行して走っている。


ワンマン運転
池上線はワンマン運転である。
そのため、ホームに事故防止のセンサーや柵を設置している。


久が原
一日の乗降人員・・15642人・・10/15
相対式ホーム
久が原は台地で昔から人が住んでいたようだ。
駅の東側にある久原小学校内には、先土器時代(約
25000年前)の遺跡がある。、
●久河(川)原などと書かれていたが、住居表示で久が原となった。地名は、久木の原から転じたとか。木の原に由来との説もある。
千鳥町
一日の乗降人員・・9902人・・13/15
相対式ホーム
近くに、地域住民の自主管理で運営されている「くさっぱら公園」や緑の多い「千鳥いこい公園」がある。
●洗足池などの関係でこの地に千鳥がきていたことも考えられる。
池上
一日の乗降人員・・33916人・・3/15
相対式ホーム
近くに池上本門寺や日蓮が亡くなった大坊本行寺など日蓮宗ゆかりの寺がある。
特に、10月12日を中心に行われるお会式は有名。
少し北へ進むと、大田区立池上梅園がある。
●地名は、千束(洗足)池が本門寺の麓まであったので池の上の台地ということで池上になったという説と、藤原氏の一族が住みつき池上を名乗ったからという説がある。
蓮沼
一日の乗降人員・・8297人・・14/15
相対式ホーム
●昔は多摩川がこの地にも流れていて、蓮の沼もあったので蓮沼といわれたのだそうだ。
蒲田
一日の乗降人員・・65342人・・2/15
目蒲線に接続、JR京浜東北線に連絡している。
高架・櫛形ホーム(目蒲線と5面4線<各2線>)
蒲田を有名にしたのは、広重の「名所江戸百景」にある梅屋敷と松竹キネマ蒲田撮影所である。
蒲田といえば、「蒲田行進曲」を連想する人も多かろう。
しかし、松竹キネマ蒲田撮影所は昭和11年に大船に移転し、梅屋敷跡は小公園が残っているのみである。
大田区役所が、平成10年に駅の近くに移転してきたので、新たな発展も期待できる。
●地名は、泥深い田だったところからきているという説、アイヌ語のカマタ(沼の中の鳥などを意味)からの説などがある。