面積は約40,000平方メートル・周囲約1.2キロメートル、静かなたたずまいを見せ、都内有数の広さを持つ池で、現在はサクラ山・マツ山・子供広場などを合わせて洗足池公園として大田区が管理しています。

 此の洗足池、古くは千束郷の大池(千束池)と呼ばれており灌漑用水として利用されておりました。

 弘安5年(1282)日蓮上人が身延山からの帰途、此処で袈裟を松に掛け足を洗って休息をしたと言はれており、この故事から洗足池になったとのことです。

 洗足池は昔から人に愛され、江戸時代には歌川広重の 名所江戸百景 千束の池袈裟掛松 や長谷川雪旦の 江戸名所図会 千束池袈裟掛松 などで紹介さており、江戸の風流人の訪れる場所となっておりました。

 今でも四季それぞれに違った顔を見せ付近の人の憩いの場として親しまれておりますが、池の回りには日蓮上人が袈裟を松に掛けたと云はれる袈裟掛けの松や、この事から建てられた妙福寺、此の池を大変愛した勝海舟夫妻の墓、勝海舟が尊敬した西郷隆盛の死を悼んで建てた留魂詩碑、千束八幡神社等の史跡や、宇治川の先陣争いに登場する名馬池月誕生の場所との伝説からの池月の像や、此に因んで架けられた三連太鼓橋や、芸能の神が祭られている弁財天など、見所も沢山あります。

 
歌川広重の名所江戸百景
 千束の池袈裟掛松
 1856
太田区立郷土博物館 発行
 よみがえる大田区の風景 より


洗 足 池 略 図

       

大田区公園課作成  洗足池公園より 一部修正


千足池の四季折々

  池の回りには柳・桜・赤松・欅などの豊かな緑があり、春に良し・夏に良し・秋に良し・冬に良し、雨にけむった風情も又しっとりとした佇まいを見せてくれます。

春  桜の季節の賑わい 新緑の頃
     此の3枚は大田区公園課作成 洗足池公園より
                   秋の紅葉も又美しく
紫陽花の花  勝海舟の
墓の付近
 
 雨にけむって   晴れた日には
アヒルや白鷺の鳥もいま
すが、10月頃から渡り鳥
も多数飛来し、湖面を賑
わはせます
 池にネオンが映えて  夕暮れ時の池

池を楽しむ人々

 水面を渡る涼風を受けながら木陰で憩う人、読書をする人、 散歩をする人など、毎日此の池を愛する人が訪れております。

 ジョギングで体力作りか  ボートで遊ぶ
大田区公園課作成 洗足池公園より
 魚釣りに興じる子供達
 池は魚釣り禁止だが子供は大目に見るのか
  涼風を受けて一休み  暖かい日差しを受けて  白鷺やアヒルも人気者



回りの史跡その他

  池の回りには沢山の史跡や故事に因んだ銅像などがあり、 歩きながらこれらを訪れるのも楽しいものです。


千束八幡神社

  其の昔(1180)源 頼朝が石橋山の合戦に敗れ安房の国に逃れた後、再挙を期し此の地に陣を構えた。

  この時一頭の野馬が陣屋に来て嘶いた、其の声 の凛々しさ・美しさに頼朝以下皆のものが感動し志気が大いに上がったと云はれており、此の故事から旗上げ八幡とも称されています。

 名馬 池月の像

  頼朝の陣屋に飛来した野馬、青い毛並みに白い斑点を浮かべ、丁度池に映 える月影のよ うであったので池月 となずけて頼朝の料馬とした。

  頼朝が木曾義仲を打とう と兵を挙げたとき佐々木高綱に賜り、此の馬に跨った高綱が宇治川の合戦で梶原景季と先陣争いをした話は有名です。



 昭和の初期に作られた弁天島にある芸能の神を祭る弁財天
名馬池月に因んで架けられた三連太鼓橋  雨の日

  勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛にたいする留魂詩碑の詳細については此処を クリックして下さい。

妙福寺(御松庵)と袈裟掛けの松

妙福寺の山門を入ると時代は100-200年前に戻った感じ。
竹林の緑が心を和ませます。
伝説の袈裟掛けの松。
広重が「かかえ三合に余る」 と書いているので直径1.6m 位の松か。
現在は6代目です。
此の日蓮上人の像の他にも 手洗いの石鉢や、上人550回忌記念碑などがあります。
日蓮上人550回忌記念碑  妙福寺 (御松庵)