庭園の歴史

浮島
八ツ橋

西暦
年号
事   項
1678 延宝6年2月 大久保忠朝、当地に邸地を拝領し、上屋敷として庭園を作庭
1686 貞亨3年1月 忠朝、父祖の地、小田原藩主となる
同年  同年 庭園が「楽寿園」と命名、その状況が「楽寿園記」に記される
1694 元禄7年2月 第五代将軍綱吉、大久保邸に臨駕
1707 宝永4年8月 富士山噴火、当園にも降灰積もる
1818 文政元年 堀田相模守が当地を拝領
1823  同6年12月 御三卿、清水家の下屋敷となる
1846 弘化3年7月 御三家、紀州家の下屋敷(芝御屋敷)となる
1853 嘉永6年 ペリー提督、浦賀に来訪
1854  同7年 園内南東隅に砲台が据えられる
1871 明治4年3月 有栖川宮が一時使用、その後明治5年に有栖川宮邸になる
1875  同8年5月 明治天皇が行幸される
同年  同年 皇室お買上げとなり、翌年「芝離宮」となる
1891  同24年4月 洋館完成、迎賓館として使用される
1923 大正12年9月 関東大震災により殿宇焼失
1924  同13年1月 皇太子(昭和天皇)御成婚記念として東京市に下賜される
同年  同年4月 「旧芝離宮庭園」として公開する
1927 昭和5年 前面の海、埋め立てられる
1944  同19年11月 空襲により罹災
1972  同47年 横須賀線地下トンネル工事の事故により、池、石組等被害あり
1979  同54年4月 入園、有料となる
同年  同年4月 文化財保護法により、国指定「名勝」となる

石組み
大山方面からのあずまや

戻る