大井町沿線旧上野毛通の変貌

 昭和36年から38年までの3年間。当時のオリンピック.関連事業として旧上野毛通(現在環八)が用地買収されました。

 現在の環状8号線は(旧上野毛通を含め)昭和40年11月1日付で、江戸川区臨海町8町目地先(千葉縣境界)から、大田区羽田空港地先(神奈川県堺)に至る23,350メートル区間を,平均道路幅員25メートルの道路として整備され、現在は東京都の重要幹線道路となり、都民の生活道路として親しまれています。

 
上野毛駅から現在の第三京浜道路までの当時の地図です。

 昭和30年頃の上野毛通、現在の環八は、駅前に数軒の商店が存在するだけで、駅前から等々力方面にかけては道幅も6メートルの未舗装道路で、1日に数回のバスが通る程度の静かな道路でした。

 道路の両側は桜並木が続き、並木越しに畑の続く道でした。 現在の環状八号線の車の騒音からは想像も出来ない道路でした。 道路の変貌ぶりを知るために世田谷区役所の資料から昭30年代のモノクロ写真と現在の写真を掲載しますのでその変貌ぶりを比較して見てください。
昭和30年代の上野毛通り(現在の環状8号線)

昭和30年代の玉川釣り風景

等々力から上野毛を望む


上野毛駅ホーム

毎日、通勤に利用した玉川電

上野毛駅前商店街

上野毛駅から美大方面を臨む

蛸入道作成