三河島下水処理場


三河島処理場は大正3年に建設工事開始し、大正11年3月に日本で最初の下水処理施設「三河島汚水処分場」として、下水処理を開始しました。

ここでは、墨田川、神田川に囲まれた荒川、台東区全部、文京、豊島区の大部分、千代田、新宿、北区の一部の地域3936ヘクタールを処理している。

場内には、地域環境を考慮して、桜、サザンカ、椿など、約2400本の植木があります。特に、桜の開花時期には、桜祭りを企画、施設を2日間解放してます。

大正12年の関東大震災にもほとんど壊れなかった煉瓦の主ポンプ棟は赤煉瓦の美しい建物です。

平成11年3月31日で、この主ポンプ棟は新しいシステムになるので業務を停止します(しかし文化財として、残ります)

桜祭りの時に、桜並木とマッチした主ポンプ棟の素晴らしい景観をお楽しみ下さい


三河島
三河島という地名の起こり。(三川ケ島とも書かれた。)
1: むかし三筋の川の中州にあったから、この地名が生まれた。
2: 徳川家康が関東に入国したときに、故郷の三河を捨ててきた下役にこの地を与えた。
3: 長禄年間(1457−59)に木戸三河守の領地。
4: 小田原北条氏の家臣だった細谷三河守の領地。
   いずれも、戦国時代からの地名。

植木職人が多く、植木屋七郎兵衛は江戸城お出入りのご用をつとめた。江戸時代から明治を経て、大正9年まで三河島村、三河島町となったが、昭和36年から41年にかけて住居表示が変わり、荒川となった。

三河島というと、暗い事故の事が想われます。


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