鬼子母神前

鬼子母神

戸庶民の雄山 の場であった鬼子母神は、天正の頃から、遠方より参拝者があったが、本格的な発展は、寛文以後のこと。
江戸時代の庶民信仰は、現世利益を求めるものが多かった。
鬼子母神は子授け、安産、子育ての利益のあらたかと宣伝したので、婦人の参拝多かった。


縁日はの日です。



ケヤキ並木

樹齢数百年を数えるものが未だに健在で、大きな瘤は年輪を刻む。
鬼子母神を新たに建立した天正年間に氏子が奉納したものという説と、旧鎌倉街道の並木が残ったものという説 がある。


御会式  10月17日〜18日
鬼子母神法明寺が、日蓮聖人の法要会として行う宗教行事。
御会式の講が復活し、この行事は、ますます盛んになってきている。
「天保時代から始まり、隆盛を極めたのは、享保より文化文政の頃。
この時の将軍家斉が鬼子母神の開帳の折に、家臣、諸大名、旗本についで奥女中らを召し連れ、参拝した。
万灯は近郷、近在からあつまり、護国寺山門に集結して、音羽通りから、目白坂(不忍通り)を登り、鬼子母神 に到着した頃も、護国寺境内にはまだ、出発出来ない万灯の列が続いていたそうです。

万灯数百年続いている万灯練供養行事は豊島区で最大の行事。
昔は、夜中まで続いたそうですが、今は、午後7時から11まで。




郷土玩具すすきのみみずく
鬼子母神信仰の貧しい娘が、母親の病気平癒のため百日の願を かけた。
満願の夜、鬼子母神が夢の中に「すすきの穂にて、みみずくを作る」ことを教え
母を養った。
鬼子母神一帯はどこでも、すすきが群生していたので、材料に欠くことはなかったそうですが、、。





現在は、材料不足と製作者もあと、一人とか。
竹ひごで蝶を作って、みみずくにつけてましたが、今は、とても追いつきません。
(平成10年10月18日に作者談)


・・・・・・・ミミズクの作り方・・・・・・・

百度石鬼子母神の本道石畳の右側に石の仁王像がある。
その傍に百度石がある。丸い棒状のもので珍しく百度石は江戸は勿論、他国にもない。
百度石は鬼子母神が起源で、他の神仏の百度石はここが起源。
百度往復する事で、願が成就する。
戦時中はお百度詣りする人が多かった。


お穴の鬼子母神「清土の鬼子母神
(文京区雑司ヶ谷)
星跡清水(鬼子母神出現の場所)=田圃(池という説もある)
田の草を刈っていた農夫が光るものを見つけ、仏像に似てるので高僧に見せると、鬼子母神の像とわかり、ここ に安置された。
高僧に仕えた安房の国の僧がこの像を密かに安房へ持ち帰るとすぐに発狂した。
「私は武蔵国雑司ヶ谷の鬼子母神なり。我を元に返すべし」と。
仏像は安房から戻されて、霊像であると祀られた。


今年(1998年)17日はここから、行列が出発しました。