最新の電車
 昭和43年の早稲田停留所
昭和40年代の王子駅  


★荒川線の現在

早稲田〜三ノ輪橋間。車両44両(全車ワンマン)。停留所29箇所。定員64人。時間48分。料金160円。12・2 キロ。一日の利用者は6万1千人。踏切103カ所。

★荒川線の前身

荒川線の前身は王子電車です。明治39年に王子電気軌道株式会社が設立され、明治44年に大塚〜飛鳥山間の大塚線が開通。大正2年に飛鳥山下(栄町)〜三ノ輪橋間が開通。飛鳥山〜飛鳥山下間は省線(JR東北線)の線路に阻まれてつながっていなかった。

大正4年に大塚線の飛鳥山〜王子間が開通したが、三ノ輪線とはつながっていない。大正14年に三ノ輪線が王子まで延長したが、やはり省線が邪魔してまだ大塚線とはつながらなかった。大塚線のほうは大正14年に大塚〜鬼子母神間が開通。昭和3年に省線の高架化にともなってやっと大塚線と三ノ輪線がつながった。その年鬼子母神〜面影橋間が、5年には面影橋〜早稲田間が開通。やがて東京が発展し昭和17年には王子電車は東京市に統合され市電に。そして翌昭和18年に都政施行により市電から都電に。
★荒川線の始ま


昭和49年10月1日です。それまでの27番線と32番線が一緒になって「荒川線」が始まりました。昭和38年から47年にかけて都電は多くが廃止されたのですが、この2線は路線の大部分が専用軌道であったことと。沿線住民には他に代替輸送がなかったこと。又沿線住民の強い存続希望があったからです。今では都民の貴重な財産でもあります


★車両のこと

和61年からはコンピューターターによって運行、管理。成2〜5年に かけて製造された最新の8500形(28年ぶりの新車)は重量18.5トン。出力60kw×2。アルナ工機製(兵庫県の民間メーカー)

車体の塗装は3年に一度(パンタグラフが架線を擦るとカーボンの粉や鉄粉が着くから)
電気関係の部品は都営地下鉄との共通化を図っている(ライト、ワイパーは自動車部品を利用している)