町屋の今

町屋の人口が爆発的に増えたのは関東大震災い後であります。ここ町屋は震災の火災から免れました。そこで多数の被災者が町屋に移って来ました。当時町屋は多くの畑がありそこに家を建て農家は貸家を作り,農業から離れていきました。
このころから王電(都電荒川線)などの利用も盛んになりました。町屋の商店街が作られ、その賑わいは浅草の仲見世の様でした。遠く浦安からも買い物客がきました。その後も地下鉄千代田線が出きるまでは賑やかでしたが、千代田線が開通し、都心への便が良くなり逆に賑わいを失いました。




荒川線町屋駅

この荒川線町屋駅の目と鼻の先に京浜急行線の町屋駅と千代田線の町屋駅があります。

京浜急行駅をでたところに千葉のおばさんが店を出しています。

早朝千葉を発ち、40kからの荷を背負い毎日通ってく
る。或おばさんは荷を引いて町を歩く。
街の人々と語り、湯方には店をたたみ帰路につく。明るく、元気なおばさん達



町屋といえば職人さんがいる町工場の多い場所である。路地を覗いてみるとそうした看板が目に付きます。


右は工場左は箱押しの工業所

そしてこんなのぼりがありました。

右の方にある緑ののぼり に書いてある文字が読めますか
のぼりのところをクリックしてみてください。
同様に店の前いひらひらしているノボリもあります。


町屋で忘れてはならないものが2つあります。

1  おさるの薬局
2  鉛筆工場

おさるの薬局
現在荒川線に面した側に店は開いている。元来店は商店街の現在マクドナルドの在る場でした。。
かって猿を飼っていたことからこう呼ばれた。おさるの薬局は昭和4年に開業した町屋で最も古い薬局です。
町屋にはかって鉛筆工場が集中してました。
残っている鉛筆工場の一軒で、筆記用具の多様化,子供の減少など様々な理由で鉛筆工場の数が減っています。ここは龍福寺の入り口に在る前田鉛筆製作所です。

下に見える車両は町屋駅を出発した京浜急行電車で、ここまでが町屋です。

このガードをくぐると町屋から荒川区荒川になります。


さて冒頭で『釣りばか日誌』の中での町屋の意味を挙げましたが、ここは決して豊かな土地ではなく雨が降れば汚泥に悩まされ、降らなければ干ばつに苦しみ,でも肩寄せ合って生きてきた人々はそれだけに他の人達への思いやりもあり,知よりも情を、そして体裁や肩書きより体を動かし働くことを選んで生きてきた人々の集まりの様に思えました。そんな場所が町屋でそこを選らんだセミ主人公の北島舞の人間性の投影として使われた様に感じました。

長い時間ご覧いただきありがとうございました。町屋にはまだまだ魅力在る情報があります。例えば無形文化財に指定された方々やその作品とか人情あふれるお話とか等などです。それはまた次回に。

アロハ〜

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